インドの山奥瞑想したら①

2011年9月11日

インドを旅すると、必ずといっていいほどヴィパッサナー瞑想の話を耳にする。かの仏陀が菩提樹の下で悟りを開いた時に使った瞑想法だ。10日の間、施設にこもって次のようなルールに従わねばらないという、かなりストイックなものだ。

・話さない、目を合わせない(決められた時間に先生やスタッフへの相談は有り)
・生き物を殺さない
・盗まない
・読まない、書かない
・セックス、オナニー禁止
・支給される食事以外の飲食禁止(酒タバコドラッグももちろんNG)
・運動禁止(限られた時間の施設内の散歩はOK)

この瞑想法はあくまで「苦しみを取り除く方法」のため、宗教とは無関係だ。なので仏教徒に限らず、どんな宗教の人にも門戸が開かれている。料金は寄付なので基本的にいくらでも良し。インドのみならず世界中、日本なら京都の施設でも体験可能だ。
僕がこの瞑想法の話を聞いたのはゴアだった。パーティーピープルと瞑想、一体どういうつながりがあるのかと思ったが、共に気持ちが良くなるものであることは確かだ。感想は人によって様々だが、最高の体験だったと語る人が多い。
2500年前、仏陀はこの瞑想で何を悟ったんだろうか?
 というわけで、実際にやってみることにした。

【1日目】

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 インド北部にある街、デラドゥン。人工50万を誇る中規模都市だが、軍事関係の施設があるくらいでツーリストは滅多に訪れない。日本でいうと埼玉の川口あたりの規模のようだ。
ヨガの街リシケシから、バスに乗ること1時間半。ターミナルからリキシャで10分ほどの集合場所へとたどりつくと、数名の西洋人がいた。西洋人には珍しく圧倒的に一人身が多い。ラストの煙草を吸おうとするとセンターのインド人スタッフに目を剥かれてしまう。
8名の面々を乗せたバンは、人気のない山道を進んでいった。「これがラストスイーツよ」暗鬱な表情を浮かべたハンガリガールが砂糖菓子を振舞っている。
20分ほどすると瞑想センターに到着した。山合いにある集落といった感じの佇まいで、敷地内には枯れ木がいくつも生えている。 
Tシャツ一枚では肌寒い。ところがトイレに行くとミニゴキブリがほんのりと蠢いている。インドの昆虫たちはインド人と同じく恐るべし生命力を誇るようだ。
早速瞑想ホール内で、登録作業を済ませることになった。
様々な掟の書かれた紙に目を通し、簡単なアンケートを終えてサインをする。貴重品を預け、自室へ行くと、シングルベッドがふたつにトイレと冷水シャワーのついた6畳間だった。
三時になると、グル(指導者)と面談が始まった。といっても大したものではない。「楽しんでね」それだけ告げられて終ってしまった。彼は絵の具一色でかけそうな見事な白髪をしたにこにこ顔のじいさんだ。
 施設内には「NOBLE SILENCE(高貴な沈黙)」「ALWAYS WALK ALONE(いつも一人で歩いて)」という厳かな看板がいくつも立っていた。
そして一日のタイムテーブルを目にした瞬間、溜息がもれた。

一日10時間10分の瞑想、睡眠時間はマックスで7時間。
しかも、瞑想開始時は5分前集合が原則という恐るべし苦行なのだ。


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夜まですることもないので昼寝をしていると、突然やかましい歓声が耳を貫いた。
インド人少年たちが外でたむろっている。
聞くと16~17歳の学生で全部で23人。瞑想にはまるで関心ないらしいが教師の勧めで強制的に参加させられたらしい。僕の部屋にも一人の少年が入室してきた。

21時。
大ホールに行くと、前方中心にグルが鎮座している。
白い布で覆われた床にずらりとならんだ青い座布団。駄菓子屋に必ず売ってる青りんご餅みたいな構図だ。そこにぞろぞろと参加者が腰掛けていく。

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3分の2があぐら、残りは正座。50名(男女比4対1)の面々が、後ろから見てセンターから右に女子エリア、左に男子エリアと分かれている。
ありがたいお話でも聞くかと思いきや、グルはいきなりラジカセのスイッチを入れた。
おっさんの歌声が流れ、その後英語とヒンドゥー語で瞑想のガイダンスが始まったがもちろん意味がわからない。
ようやく2時間が経過し、外に出ると皆一目散に宿舎へ歩き、同室の少年はあっという間に布団にもぐりこんだ。沈黙のゲームは既に始まっている。
 
【2日目】
 午前四時。けたたましい金属音が鳴った。
「ティーン、ティーン、ティーン」
シンプルだが耳の奥まで響く厳粛な梵鐘の音。
目を開けると少年が飛びあがって、鮮やかな手つきで布団と毛布を畳み、ワシャワシャと忙しく歯磨きをし始めた。トイレに行って戻ると、どういうわけか僕の布団まで畳まれている。修行僧のような小坊主だがもちろん礼を言うことはできない。
5分後、今度はベルが鳴った。「カラカラカラ」高田純次並みのしつこさで迫ってくる。突然部屋のドアが開き、ベルを振りまくる小柄な老人が現れた。僕たちの起床を確認すると、また次のドアへ向かっていく。
その後このベルは4時5分と4時25分に鳴ることがわかった。初日こそ、すぐに起き上がる面々だが、以後、4時5分で一度起きてドSなベル師の攻撃を交わした後、一眠りして二度目のベルで起きるという習性を身につけるようになった。

外に出ると猛烈な寒さが飛び込んできた。頭から毛布をかぶって出直すと、目の前の坂道を、ムスリムと化した面々が歩いている。
 すぐに薄暗い大ホールで朝の瞑想が始まる。予備知識はないのでやり方がまるでわからない。とりあえずあぐらを組んで目を瞑った。
瞑想を始めると、自分がいかに唾を呑む回数が多いかがわかる。ゴクリという音が沈黙のなかで鳴るとドキリとしたが、そのうち屁をこくやつもいて安心した。
暇つぶしに目を開けると静止図のような世界が広がっている。5分に一回、目の前のデ
ブが尻をずらす以外変化はない。彼のケツ下のクッションがやたら分厚いくらいしか見る
物もない。
30分もするとあたりでもぞもぞと音が鳴り始めた。1時間もすると、指の骨を鳴らす輩も出始めた。ポキポキと少年たちの骨音の連鎖が頻発する。目の前のデブは、ドアを開けて外に出てしまった。10分ほどで戻ってくるが、また10分してワシャワシャとウィンドブレーカーを揺らして外に出ていった。
時間と共に背筋と脚、ケツの痛みが激しさを増し、集中力が切れてきた。くるぶしの丸骨が無性に痛い。
そろそろ終わりかなと思っていると、ラジカセからグルの詠唱が始まった。老人の断末魔のような呻きで何を言っているのかは不明。
ほとんどいじめにしか思えない歌声は30分も続き、ようやく朝の瞑想が終了した。
ダイニングルームへ行くと、アルミ皿を抱えた少年たちが列を成している。朝食のメニューはバナナ、甘ったるいオートミール、硬くて青臭い豆。猛烈にブルーになる。

一眠りした後、二人の日本人女性と共に日本語の解説テープを聞くことになった。壁に背をもたせ、ヘッドホンの声に耳を澄ませる。
グルの英語の説明のあと、オ○ムシスターのような女の声で日本語の訳文が入っていた。ガイダンスよると2日の間はアナパナ瞑想(鼻筋の根元から上唇にかけての三角形のエリアに意識を集中し、何も考えずに自然な呼吸の感覚だけ味わう方法)をし、その後ヴィパッサナーを開始するのだという。
戒律文の復唱も終えると、「懸命に修業しなさい」オ○ムシスターが励ましてきた。
まるでどっかの新興宗教に入団したみたいにハイになるが、そんな英気は長くは続かず、夜には早くもうんざりしていた。

19時からは講話の時間が始まった。
この瞑想を普及させたというミャンマー人による講話で、日本語訳は厳しそうな女教師を思わせる熟女の声だ。テープは1987年に制作されたらしく、なかなかのノイズが入っている。
仏陀を中心にありがたい話を聞いたが、面白かったのが、呼吸が内と外の世界をつなぐ橋という表現。「今とは何か?」その答えは、「鼻から出入りする空気」のことに過ぎない。

【3日目】
昨日蒲団まで畳んでいた少年だが本日はギリギリまで眠りこけていた。
瞑想ルームに行くと、おっさん二人組みが後ろで椅子に座っていて、ちょっとだけうらやましくなる。楽をすればとことん楽もできるのだろうけど、それでは意味がなくなってしまう。その加減が難しいところだ。
 朝っぱらから瞑想の連荘が始まったが、もちろん面白くもなんともない。
 10時半からは、グルの前で一分ほどの瞑想もする。2、3人の生徒がグルの前に呼び出され、質問をふたつほどされた後、瞑想となる。そのささやき声が気になってまるで集中できない。
朝の瞑想後、ひと眠りしようと部屋に戻ると、同室の少年が僕のバスタオルを腰に巻いていていた。2枚干していたうちの一枚を勝手に使ったらしい。ご存知のようにインド人は基本的に剛田武だ。

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ベジターリー(薄味)

昼食後の瞑想三連荘は眠気との戦いだ。眠りに落ちるたびに、びくんと首を後ろにそらせて軽いムチ打ち状態を味わう。暖かな日差しも眠気を増幅させた。合間の5分休憩でこっそりストレッチをするのだが、一時的に回復しても、痛みは徐々に蓄積されていくようだ。
少年たちもうんざりしているらしく、グルがいない時には、頻繁に席を立って外でサボり始めた。終業のベルが鳴った瞬間には、マッハで立ち上がる。
一方女の人は真面目でほとんど動いていない。だが後で訊くと毎度毎度山盛りの飯を食らい、10秒に一回はゲップする迷惑なおばさんもいたようだ。
どうにか痛みに耐え、夕刻五時のティータイムになるとようやく一日の山を越えたという気分になる。この時食べるマサラ風味のライススナックと、昼食の野菜ターリーだけがささやかな一日の楽しみとなっていた。
 その夜の講話、眠くなったら顔を洗えと23年前の熟女に渇を入れられた。

【4日目】
 鐘のなる5分前に目が覚めた。眠気は残っているが煙草を吸っていないせいか、思ったより不快な気分はない。
 外に出ると物干し竿に、誰かのフンドシが干されていた。シャワールームで冷水を浴び、気合を入れて朝の瞑想に挑む。半分眠っているのだが、そのせいか邪魔臭い雑念は浮かばない。時々いびきも聞こえるが特に注意もされていない。
 午前八時。
 二度目の瞑想が始まった。瞑想のコツはただ何も考えず、ひたすら呼吸を観察すること。脚のしびれや痛みを感じてもそのままにしておき、どうしても我慢できなくなった時だけ少し体を動かす。その程度にしておかないと効果が期待できないらしい。
 額のあたりで痒みがあったので試しに我慢してみると、痒みはいつの間にや失せた。
 外が明るみ、窓から陽光が差し込んできた。遠くからミリタリー施設のトランペット音が聞こえる。パラリラパラリラ、全世界共通のトラック運ちゃんのクラクション。美しい小鳥ビート。
 静かに耳を澄ませ、脚のしびれもそのままにしておいた。フンフンと少し大きめの呼吸で鼻の穴に意識を集中する。
……すると、じわじわと頭のなかが気持ちよくなってきた。
脚のしびれもあるが、頭が気持ちよすぎてほとんど気にならない。脳内に、新鮮な酸素がギュルギュルと流れていくのがわかる。
終了の鐘が鳴り、ゆっくりと目を開けると、頭がしばらくの間、ボワーッとしていた。ただひたすら、恍惚。女がイッた時って、こんな風になるのか? 口のなかに大量の唾液がたまっているがまるで気づかなかった。

その晩の講話は実に的を得たものだった。瞑想は気持ちのよい感覚に執着したり、痛みやしびれなどの感覚に嫌悪を抱くとうまくいかないという。
実際昼の間あの気持ちよさを求めていたが、ただ疲労感が残るだけで、二度とあのトリップは味わえなかったのだ。
期待するとうまくいかず、忌み嫌うと、泣きっ面のハチ状態。
全てのものは、移り変わっていく。
これが宇宙のダンマ(法)であり、呼吸ひとつで感じることのできる世界の真理のようだ。最初に呼吸を観察した人は、よほど暇だっただけなんだろうが、ものすごい発見をしたもんだ。

【5日目】
瞑想中、しょっちゅうおならが出そうになった。どうにか回避成功するが、このところやたら屁が出る。ゲダツじゃなくて、ヘダスじゃん。豆ばかり食べてるせいなんだろう。
 昼過ぎから、オ○ムシスターによる、ヴィパッサナー瞑想の解説が始まった。
 頭のてっぺんからつま先までパーツパーツの感覚を無心で観察する、というものらしい。意識を向けても何も感じない部分は、1分ほど待ってみて、服や空気に触れている感覚だけでも味わい次の部位に移る。
 実際にやってみると、鋭敏な部分というのは確かにあることがわかる。左腕のパルスや心臓の鼓動はよく感じるのだが、脚全体はひたすらしびれ、つま先の指の感覚は区別がつかない。
テープの指示にはなかったけれど、股間にも意識を集中してみた。パルスもビートも感じず、愚息はひたすら無抵抗と沈黙を貫いた。ほんとは動いているのだが、微細すぎてわからないのだろう。5日間自慰ヌキの僕には、まるで核弾頭のように思えてきた。
 
ティータイムの時間、ダイニングルームには、砂糖入り牛乳をスプーンで掻き回すカシャカシャという音だけが響いていた。
いつものバナナを食べながら、とうもろこしに似てるなとしみじみ驚いていた。
安らぎの時間だったが、いまだに時折少年たちからの視線を感じた。皿を持って配給の列に並んでいても、すぐ前の男が振り返って、赤ん坊のようにまじまじと見てくる。インド人もビックリと言うが、ヤツらはビックリすることをいつも探している。
このところ、宿泊施設のノーブルサイレンスも破られていた。ドSなベル師の来る時間はわかっているので、少年たちがいつも小声で話している。用もないのに部屋のドアを開けてくる輩もいる。そもそも、16歳で瞑想なんて無理だろぉ? やりたい盛りのオス犬を廃墟にぶちこむようなもんだ。

懸命に、働き続けなさい。
一生懸命、修業しなさい。
やがて解脱への道が開かれるでしょう。

そんな風に昭和の女は励ましてくるが、テンションはかなり落ちていた。あの気持ちのよい感覚も二度とやってこない。施設内に散りばめられた「BEHAPPY」の文字が猛烈にウザイ。
夜の講話。煩悩を煽るぜいたく品のたとえとして「きらきら光るラジカセ」が挙げられているのに時代を感じた。

(後編へ続く。。。)