汗ダクの野菜炒め

2009年10月11日

昼下がりのサスペンスドラマを見ながら、 ポテトチップスをパクつき、ハラハラすることは あっても、野菜炒めを食しながらハラハラ、しかも 汗ダクになることは人として滅多にない。

だが、今日ボクは体験した。

近所に名も無き定食屋がある。こういうと、ちょっと カッコイイ。あるがままの心で、知らぬまに気づいていた定食屋へ赴くのだ。そこの定食屋のディスプレイは、妙に年期が入っており、すすだらけの酢豚とか、どす黒くグロッキーな餃子なんかが忽然と鎮座しているのだが、それもいい。ちょっとぐらいの汚れ物ならば、OH、ダーリン、口にしてやるぜ。

正確にいうと、名前はあるのだが、我、通りに三軒ならんだ定食屋の真ん中の定食屋というぐらいにしか認識していないので、いつも自動車教習所ならぬ、黙視のみで、その赤黒い看板の向こうの引き戸をガラガラと開けてしまっている。

そもそも何ゆえに小生がこの定食屋を気に入っているかというと、まず小汚い店内からは想像もできないほど、

水が冷たいのである。

春夏秋冬、いつ、いかなる時に訪れても、どうゆう製法をしているのかそこで差し出される水は冷たい。氷結果汁ならぬ、氷結水だ。以前、勢いで瓶ビールを一度頼んだことがあるが、

紛れも無く、水はビールより冷たかった。

この店のカウンターには、一般の定食屋と同じように、赤(ラー油)、黄(酢)、醤油(黒)の三つのポーションが並べられてあるが、よその定食屋と同じように、

素手で赤を握るとベトベトになる。

ま、その辺はご愛嬌ということで、特に気にしない。

店内には、いつも口数の少ない酒やけの店主と、フィリピン系 の妻とおぼしきおばはんがいる。店内に貼られたメニューには「冷やこ」や「チヤハン」なんてのもある。それもご愛嬌。

さて、店内の左前方、天井とすれすれの位置に14インチのテレビがある。これがイイ。この夫婦は、滅多にしゃべらないので、テレビから漏れる音声が気まずい静寂感を緩和してくれる。

以前ボクの隣で肉団子をつついていたオヤジが「ここはテレビを見ながら静かに飲めるのがいいねえ」と、ブラックジョークめいたことを言っていたことがある。そん時のボクは、肉団子オヤジがなんとなく皮肉めいた不気味な存在にしか映らなかったが、確かにそういうメリットもあるのかもしれない。

だが、本日の夕暮れ時、店内に赴くと14インチのテレビは消えており、肉団子オヤジが一人カウンターでウーロンハイをすすっていた。店内に、あの酒やけの店主はいない。フィリピン妻のみだ。うす汚れたメニューを眺めていると肉団子が呟いた。

「今日はマスターいないの?」
「イナイヨ」

フィリピン妻が、ボクの目の前に氷結水を置く。一口つけると、いつもよりぬるい。イヤな予感がした。

肉団子「奥さん…前から思ってたんだけど…」
フィリピン「ナニ?」
肉団子「…綺麗だよねえ」

ボクは慌てて、グラスの水をひっくり返しそうになった。その生ぬるい水を口にしながら、薄目を開けてフィリピン妻の方を見る。タチの悪い酔っ払いに絡まれ、ヤレヤレ、客商売も大変だのお。ところが、フィリピン妻は、エプロンで手を拭き、なにやらモジモジしながら、笑みを浮かべている。

そう、満更でもない様子なのだ。

ボクは、何か場違いな空気を感じながら、「野菜炒め!ライス大盛り!」と声高に叫んでいた。

***

空調の効いていない室内のため、額から汗がほとばしる。
ボクは目の前に出された野菜炒めをハフハフしながら食している。

肉団子はいつの間にか、ビールを頼んでおり、フィリピン妻のグラスにも注いでやっている。

時折、左横から刺すような肉団子の視線を感じる。視線の 先を見ると、

「オマエもどうだ!?若造よ」

と言わんばかりに陽気な肉団子は、赤ら顔のまま、ボクの方に ビール瓶を高々と突き上げる。悪いが、今日はそんな気分ではない。巻き込まれたら長そうだ。今日は帰って「愛という名のもとに」のDVDを見るんだ!そろそろ、チョロが死ぬから見てやんなきゃ!

肉団子「綺麗だよな。奥さん。なあ!?」
フィリピン「モウ、オジョウズネ」
ボク「バリバリ(モヤシを食す音)」
肉団子「綺麗だよな。奥さん。なあ!?」
フィリピン「モウ、オジョウズネ」
ボク「シャキシャキ(キャベツを食す音)」
肉団子「綺麗だよな。奥さん。なあ!?」
フィリピン「モウ、オジョウズネ」
ボク「ボリボリ(ニンジンを食す音)」

頼む!誰かせめてテレビをつけてくれ!
小滝のように頬を伝う汗をぬぐいつつ、
一心不乱で野菜炒めを食す、嗚呼悲しみの初夏。