サイゼリヤの赤ワイン
サイゼリヤの赤ワインで二日酔いした日ほど気分の悪いものはない。
昨晩、真っ黒なイカ墨スパゲッティと、血よりも赤黒いワインを飲みつつ、一時間でクールを一箱開けてしまった自分に懺悔。
夜遅く、焼け付く胃袋とカラカラの喉を引っさげ、駅近くの松屋にたどりつき、何の代わり映えのない店内で、ズルズルとトン汁をすすっていたボクは、オアシスにでもたどり着くような安堵感を覚えた。だが、豚の油膜もポリフェノールには歯が立たず、こうして苦痛にあえぐ、昼下がりのベッドの中。
液キャべを試してみるが、ヨードチンキのような液体に ムワッと気分は低下し、むしろキャベツの千切りのようなものが食いたい。湯豆腐もいいが、お湯をわかす気力もない。
カップヌードル醤油味の、醤油の部分だけズルズルと飲みすすりたいが、やはりお湯を沸かす気力もない。
サイゼリヤは好きだ。だが、その一方で悪魔的に安い赤ワインの行き場を考えず、調子に乗るととんでもないことになってしまう。
海のミルクと称される生牡蠣をバクバクくいまくり、その翌日 激痛に苦しんだことがあったが、それよりもタチが悪い。
マックでミルクは頼んでもサイゼリヤで赤ワインは頼むな、と自分に言い聞かせつつ、それでもまたデキャン500ml370円の悪魔的誘惑にかられてしまう。
原価はいくらだ。生ビール400円とのブランドの違いは なにか。その昔洋酒は高級種であったはずなのに、この赤ワインも生卵やバナナの没落ぶりと同じか。どっかの工場の大量生産か。ブロイラーか。フォアグラか、と、いろいろ考えながらどす黒くさらりとしたルビーのような液体にそう思う。
マッキーの歌じゃないが、もう酒なんて飲まないんて、言わないよ絶対・・・と朝日に近い、その夜月明かりの前でまた、アルコールを口にしてしまう自分がいる。
休日は酒。その昔は、土砂だらけの工事現場でサッカーボールをけりつつ、ひとしきり体を動かした後に飲む500mlの100円コーラを飲むのが好きだった。二酸化炭素中毒だったボクの体を駆け巡るさわやかになるひと時。だが、20年たった今では一杯目のビールではさわやかになっても、それ以後は、惰性で飲んでる気がしてならない。惰性で飲むコーラなんて昔は 絶対やらなかったけど、惰性の酒は大人になってから、ついついやってしまう。酒の味よりも、酔うのが好きなだけなんだろう。これからは、何でも味わい深く楽しめる大人になりたい。
大人の世界なんて、酒とタバコで、口の中がいつも気持ち悪くなる世界だということを最近知った。酒もタバコもやらず、日々体を動かし、書を読む晴耕雨読のような暮らしが実はとてつもなく大人のような子供のようなひどく羨ましい生活に思えてくる。週2回、体育の時間があって、毎日同じ時間に給食を食べ、掃除をし、趣味のクラブ活動を行う小学校の世界が実はとてつもなく理想的な気さえしてくるのだ。
今の生活は学校も試験もナンにもないが、0時を回ったあたりに墓場じゃなくともゲ・ゲ・ゲとやっているような気がする。 早く、健康になりたい・・・と、どっかの妖怪じゃないが、そう思えてくる。
ああ、どうしてこんなに空は青いのだ。ボクの胃袋はサイゼリヤで真っ赤だというのに。