人はいつから大人になるのか②
前編の続きです。
○メディア
流されてはならないもの。
今、世の中には離乳食のような、わかりやすい一発ギャグの芸人や、
チープな歌詞のJポップが溢れている。
そうしたものでそこそこ満足し、自分で面白いものを探さなくなって
しまうと人の頭はふにゃふにゃになってしまうと思う。
そういう人が「納豆は痩せる!」とテレビでいえばスーパーに走るん
だろうか。テレビさえ操作すれば大衆を動かせるというのは、とても
恐ろしいことだ。
映画『ボーリング・フォー・コロンバイン』でも、マイケル・ムー
アは、「アメリカで銃犯罪が多いのはメディアの煽りが原因」と言っ
ていた。
この前迷惑メールを整理してたら異常な数の「マスク」に驚かされ
た。僕は冷凍ギョーザ報道が流れていた時も、かまわずオランダ
で食べてましたね。もし、食当たりを食らってたら、自己責任とつつ
かれるんでしょう(この、「自己責任」という言葉はいじめのために
あると思う。責任というのは当事者同志が話し合うもので、自動車事
故とかゴムつけないで子供できた、どうするべ?という時に生じる言
葉で、第三者がとやかくいうものではないと思う)
ただ、今はネットがあるので便利だ。ちょっと気になることがあれ
ば少し時間を割いて調べれば、事実がより明確に見えてくる。
そうするとテレビや新聞にはないおかしな一面に気付きいてくる。
検察によるでっちあげ、検察に従順なマスコミによる偏向報道があ
るのは事実だと思う。
以下はその例
田中角栄ロッキード(新しい環境エネルギー開発を模索していた氏
への、資源で儲けている海外投資家からの圧力)
911テロ(アフガニスタンがパイプライン建設を拒否ったため。石
油でガポガポ儲けたいアメリカの意図。ペンタゴンが破壊される前に
BCCで壊されましたの報道って?)
アポロ月面着陸(米ソ宇宙競争。40年以上前に一回行っただけで、そ
れ以降行ってないって…)
鈴木宗男ムネオハウス(ブッシュと仲良し小泉政権時に、ロシアとの
独自の外交パイプを作ろうとしていた氏への嫌がらせ)
CO2規制(これから発展していく第三社会への圧力。CO2減ら
しましょうなんて、京都議定書で日本にホスト役をやらせたアメリカは、即効離脱。
本当に環境に真剣に取り組むなら日本の自販機全部失くすのがいい
と思う。環境にいいことしてます=企業のイメージアップ戦略=
モノを買わせる=環境破壊)
まだまだあります。
ややこしいのは、何でもかんでもミュータントの仕業だ!とか極端な
陰謀論者がいることだ。
信じるも、信じないのも人それぞれ。疑い始めるときりが無い。
けど、おかしな報道があるのは事実だと思う。
ネットを使う若者が、テレビ報道を鵜呑みにせず、自分たちの頭で
考えていく。そんな人間が増えれば、将来のマスコミもビビるのでは
ないかと思う。
そういえばノリピーの旦那を自称プロサーファーなんて小ばかにし
ていたマスコミですが、三浦和義元社長なんて呼び方はかなりビビっ
てておもろいですね
(マスコミが訴訟名人の彼に訴えられるのをビビってる。野球中継し
か流れない拘置所にクラシック音楽を流したり、容疑者がジャンパー
を被るようになったのは氏の実績だそうです)
たとえば
自称コンビニアルバイト
自称ビラ配りスタッフ
自称家事手伝い
なんて報道はおそらくされないだろう。
鳥肌実氏が何かやらかしたら「自称パン工場サンドイッチ班長」に
なるんだろうか。
○嫉妬
人間に不要な感情。他人との比較から起きるもの。
最近ギリシャ神話の本を読んでるけどそのテーマは大体「嫉妬」や
「傲慢」だったりする。昔から人間の悩みの種なんだろう。
「最近の若い者は…」と説教する年寄りがいるが、その裏側には
若さへの嫉妬を感じざるを得ない。若いヒトから学べる年寄りの方
が賢いと思う。
嫉妬を防ぐには「行動」が必要だと思う。
○マナー
過度に気にする必要のないもの。
マナー意識の高い人は同じ種族で高めあっていけばいい。
過度に咎めることはハケ口に近いものがある。
たとえば、地べたに座ってお喋りしている若者がいたとする。
通行のジャマになってる場合とか、コンビニ前でメンチ切るヤンキ
ーは別として、ただ地べたに座っていることに「だらしない」と憤る
人がいる。
こういう人はバンコクのカオサンに来たら、どう思うんだろうか。
ホームレスや若者のみならず、おっさんおばさんが道端に座り飯を
食い、昼寝をしたりしている(暑い国ほど昼寝族多し。ネパールも
ほぼ一緒)
ここで「だらしない」と感じるのは潔癖症だろう。
「こんな国か」と気にしない人は、日本で「だらしない」と憤った
自分をどう思うのか。
その裏にあるのは単に自分にとって目障りなだけだったということ
だと思う。畳民族なのにおかしなもんですね。
※日本にいると余り座りたくならない僕ですが、東南アジアではし
ょっちゅう座って街を傍観するのが好きです。自分が学芸会の
「石ころ」になった気分です。
ある時はこんなこともありました。
僕は友人と二人で飲んでました。
友人は飯を食ってる途中だったんですが僕は食後の一服をしていま
した。お互いヘビーなので普段からあまりタバコの煙を気にしない
仲です。
すると隣のテーブル席にいた日本人女子と白人男性のカップルの英語
が聞こえました。
「日本人はマナー意識が足りない。見てよあれ」
女性は僕の方を見ながら小声で言いました。テーブルとテーブルの間
にドライアイスの冷気のようなものを感じ、僕はそっと火を消しました。
またある時はこんなこともありました。
食堂で僕は食後のコーヒーを飲んでたんですが、合席になり目の前に
おばちゃんが座りました。すると、いきなりおばちゃんが言いました。
「あたし、旦那がヘビースモーカーだから慣れてんの、気にしないで
スパスパ吸って」
僕のテーブルの上のライターを見て言ったんでしょう。
そん時僕はタバコを吸おうとまだ思っていない段階だったんで、
予想外に嬉しかった。
○気遣い
仕事時以外は不要のもの。
(いや、僕は会社でも全然しなかったけどね)
合コンとかでびあの初対面特有の女子の「サラダ取る?」なんて
白々しい合戦、なんなんでしょう。別に食べたい人が勝手に
取ればいいのになって思う。自分の皿に先に取った後、
「いる?」なんて、「ついでに」の感じならいいですけどね。
酒を注ぐというのも同様で、一杯目は注いでもらいますが、
以降注がれるのはなんだか自分の飲みペースを崩される
ようでもあり、相手に働かせているようでもあり、僕は好き
ではありません。これも「ついでにいる?」の感じなら
いいんですけど。
僕はから揚げに真っ先にレモンを絞って「あ、かけちゃったぁ」
ていうくらいのマイペースな女の子が可愛く見えますね。
結局この気遣い、意図を感じさせる時点で見え見えでつまらないもの
になります。社会ではそういうつまらない気遣いができるのが
オトナと捕らえがちですが僕はそうは思わない。
色々やってくれる人はありがたいしいいのですが、
本当にすごい人は不意打ちできます。
家飲みで散々飲みまくってぐたーりしている時に、ささっと味噌汁を
出してくれるような人。で、その人自身も味噌汁をズズリと啜ってい
るといい感じですね。
○天国、地獄
単なる人間のイメージ。僕は生まれ変わりがあるとかいわれたら、
「ある」と考えた方が面白いのでそう思うけど、いい人がゴキブリに
生まれ変わらないという保障はどこにもない。
ある人が「人に優しくいい行いをすれば魂のレベルの高い世界に行
ける」と言ってたけど、たとえば魂レベルが高そうな忠犬ハチ公み
たいな犬に生まれ変わったとして、ペットショップで売れずに保健
所のガス室行きなんて展開もありえる。
深夜ひっそりコソコソ食べ残しを漁っているだけなのに、スリッパ
で瞬殺される魂レベルの高いゴキブリもいるかもしれない。
人は現実に飽きてくるとあの世への期待を抱く。
それで自分が楽しいならいいけど、僕はなんだかもったいない気が
する。どうなるかわからないものをあれこれ考えるなら、たった一度
の人生の中でできるだけ多くの面白いもんを見たり、聞いたりして
ウィスパーギャザーみたいに吸収したいと考えている。
誰かの教えをそのまますっぽり信じるのは楽だけど、自分が空っぽの
グラスになってオレンジジュースを注がれているような気がする。
僕はいろんなもんから、面白いとこだけ集めて混ぜ混ぜのミックスジ
ュースみたいになりたい(たぶん、変な色してんだろうけど)
上記の中には、子供が考えるものもあるけど、大人ほど形のない曖昧
なものを考える傾向があると思う。
よく、「子供のままでいたい」という人がいるが、社会に出て、打た
れ強くなることは必ずしも子供心を忘れることではないと思う。
「弱い」というのは「子供」というより性格的なものだと思う。
僕が思う子供の強力な特徴はこんな感じだ。
○子供の特徴
①驚く。「なぜ?」と疑問に思う
②有り合せの材料で楽しめる
③周りの目を気にしない
①驚く。「なぜ?」と疑問に思う
子供は驚くことが山ほどです。「なぜ虹ができるのか?」「なぜ船は
走るのか?」「なぜ?」と疑問に思ったり、考えることは目に見える
ことばかりだ。
大人のように抽象的なイメージや概念を深く考えることはありません。
僕は次男坊なのでおさがりばっかだった。「また、おさがり?」と
不平をこぼすことはあっても不幸だとは思いませんでした。
ドラクエ3や、公園での○○ごっこはすごく楽しかったけど、やって
る時に「幸せだなぁ」と考えたことは一度もありません。
人間は「サプライズ」が好きな生き物です。大人は日常で驚くことが
なくなるので、メディアにそれを期待します。
「地震が起きないのか?」「スターが奈落の底に落ちないか?」
マスコミはそんなサプライズを大げさに演出するのが得意です。
しかし僕が思うに「驚き」はサーファーにとっての波に似ている。
いい海を探し、静かに待つ。
「驚き」はまた、釣り人にとってのビッグショットにも似ている。
いい釣り場を探し、静かに構える。
誰かが無理やり作り出した波に乗ったり、釣堀で時間を潰す必要はな
いと思う。
大人になるといろんなものに、飽きてくる。よく「なんか面白いこと
ないかなぁ」と口癖のように言っている人がいるけど、これはとても
ネガティブな言葉に聞こえる。だが実際に「なんか面白いこと」を自
分の頭で考え始めると、途端にポジティブな言葉に変わる。
この「驚く」こと、大人になると日常の中に見つけるのは中々難しい。
驚くことが見つからないなら、ヒトを驚かせるのもいい、
「サプライズ」の演出上手はとても素敵ですね。
最近僕が驚いたことは以下の3つ。
1 男子同士でもルンルンお手て繋いでお散歩@ネパール
(手を繋ぐ男子多し!友達同士のスキンシップだそうです。最初は
アムス並みのゲイシティかと思った)
2 闇夜のベル
(ホテルの窓から毎晩19時近辺で聞こえてくる激しいベル音。人
影は見えない…ゾッとしましたが、ヒンデュー経信者の儀式のよう
です)
3 バイオハザードア
(ホテルのドアが突然、開いた!誰も入ってこない…単に、ドアが
ボロイだけ。しかし、閉めた時部屋にゴーストが入ったような錯覚
を覚えました)
②有り合せの材料で楽しめる。
これは、「○○ごっこ」なんか、その典型。
小学生の頃「ウルトラクイズごっこ」をやった。
罰ゲームは公園土手上から高さ5mほどのスリルジャンプ。
「キョンシーごっこ」も流行った。息止めるのがつらかった。
ある時僕は「冒険野郎マクガイバー」ごっこなるものを提案した。
マクガイバーは、フェニックス財団のピーターから、「冷凍庫から人
を救出せよ!」なんて依頼を受けるわけですが、現実にはピーターは
いない。結局、ジャングルジムを行ったりきたりで「マクガイバーだぁ!」と叫ぶ。
友達は理解不能で呆然。企画倒れ。
他にも面白い遊びはあった。
定規でびよーんとシュウォッチの記録を出したり、ハイパーオリンピ
ックをやりすぎて指の皮がむけたり、かくれんぼで風呂に隠れて水浸
しになったり(かくれんぼといえば、ベッドの下は小さい頃はいい隠
れ場所だったけど、大きくなるに連れて出る時にしんどい報われない
隠れ場所だと知った)、「公園周り」といって、自転車で公園を探し
知らない公園の池を見つけて「マ○湖!」と命名したりしていた。
他にも色々やった、指相撲、はないちもんめ、生命……。
小学校の頃は鉛筆とノートがあれば楽しめた。
ノートに簡単なサッカーグランドを描いて、鉛筆の芯を紙に当てて柄
の部分を人差し指一本で押えて倒す。「ピシュッ!」鉛筆のラインの
先っちょから相手がまた同じ動作をする。
自作のゲームブックなんてのもあった。
友達に「右へ行く?左へ行く?」なんて訊かれ、僕が「右!」と答え
ると、友達はペラペラページをめくって「残念、死亡」「え?」なん
てチープなやり取りだったけど結構楽しかった。
ベタなのは迷路、小学生は迷路が大好きですね。自由研究の定番で
した。自由研究といえば僕は「野口英世新聞」なるものを作ったこと
があった。
伝記の巻頭カラー写真の英世や、姉イヌの顔写真を切り抜き、画用紙
に張って、マジックで伝記のまとめを書いたものでしたが、夏が終わ
ると後悔しましたね。伝記を見ると、英世やイヌが、遊園地にある顔
抜きパネルみたいになってました。
そんなノートゲームの中でも一番驚かされたのが上野君のだった。
そのゲームが画期的だったのは消しゴムを使ったことだ。
彼のノートには迷路が書かれている。そんで迷路を進むと宝箱があ
り、その前には敵がいる。迷路をといて、戦闘モードに突入する。
次ページにはドラクエの戦闘画面のようなものが書かれていた。
まず「たたかう」を選択する。戦い方は先ほどのサッカーの「ピシ
ュッ!」と同じのようだ。敵キャラの胸が弱点で、そこを狙うと
ダメージを与えることができるという。
んで、僕は首尾よくダメージを与えた。すると彼は消しゴムで、せっ
かく綺麗に描いてたモンスターを全部消してしまった。
そして、鉛筆でせかせかと先ほどよりかなり雑になったモンスターを
描き始めた。幾分、サイズが小さくなったのはダメージを受けたから
のようだ。
で、また心臓を狙うと命中。上野くんは「グホッ」と擬音を
あげてまたせかせかと鉛筆を動かし始めた。攻撃するたびにさらに雑
になり、一筆書きのドラエモンから、最後は鼻くそみたいなもんにな
ってしまった。
「そういやこっちが攻撃されることはないの?」
「あ、そういえばそうだね」
上野君はそこでゲームの決定的な欠陥に気付いたようでしたが、
僕は彼の旺盛なサービス精神に感動した。
そして休み時間を終える頃、上野君の机には大量の消しゴムのカス
ができていて、「ちょーだい」と女子が「ねりけし用」と書かれた
100円ガムの容器に消しカスを半ば強引に集めて去っていった。
③周りの目を気にしない。
小学校低学年の頃、「家族」について作文を書くことがあった。
各クラス一人がテレビの「お昼の校内放送」で自分で読み上げること
になったが、僕が読むことになってしまった。
内容はたしかこんな感じだ。
「うちには電子レンジがない。お父さんは仕事で遅くに帰ってきても、冷たいご飯で我慢している」
3つ上の兄はテレビで読み上げる弟をどう見ていたんだろうか。
そういう内容は僕だけではなかった。
「うちのお母さんが親戚のおばさん
からカニをもらった。お母さんは団地の
中でカニを持って歩きましたが、歩いても
売れず、歩いても売れず、誰に声をかけても一個も売れませんでした」
それを聞いた先生が、「どんな親だ?」と目を丸くしていたのを覚え
ている。みんなそうだったと思うんですが、何が恥ずかしいのかよく
わからなかったのです。
AV男優の山本竜ニさんの子供が「僕のパパはAV男優!」という作
文を書き、校内で一等賞を取ったそうです。内容が非常に気になります。
ところが小学校高学年くらいになると周りの目を気にするようになっ
てくる。僕はメガネをかけた自分の顔がいやだったので、極度に他人
の目を気にして対人恐怖症気味になってしまった。
そしてうちの母ちゃんは脚が悪い。歩くとビッコを引くのだが、僕は
できた子供ではなかったので、母親と外を歩いているのをクラスの誰
かに見られるのが嫌だった。
この「恥ずかしい」という感覚。
まわりから自分がどう見られているかを気にするから起こる。
ヒトは常に陰口を叩く生き物だ。なので、どんなマトモなヒトでも影
では絶対コソコソいわれているだろう。
どうせ、言われるなら、周りの目なんかどうでもいい。
そう開き直れたのはいつからなんだろうか。大体26くらいだと思う。
それは僕が他人との比較をやめた時とほぼ同じ時期だった。
それまでは合コンでも、何でも自分を良く見せることで必死だった。
すごく病んでいた時、酔っ払って見知らぬ中年カップルの席に一人で
飛び込んで「おれは慶応大卒で…」と語ることもあった。
いやな奴だ。自分の中で誇れる部分がそこしかなかったんだと思う。
バランスを取るため、自分を正当化することに必死だった。
この自分を必要以上によく見せること。自己正当化なのかもしれな
いが、聞く方にとってはただの自慢や、傲慢にしか聞こえない。
ハッタリはフリーランスの仕事のヒトが食べていくために使う術で
他の時に使うといつか穴が開く。自分自身で気づいてなくても。
僕は最初、自分のことを露出狂かと思っていた。
けど、そのうち露出狂というよりは「恥ずかしい」というネジが
一本外れてしまったことに気付いた。
これが、いいことか悪いことかはわからない。
世間では悪いとされているのだろう。
ただネジが外れたことにより生きるのがとても楽になった。
ある時居酒屋で一緒に飲んでた友達がトイレに行く時、転んでしま
った。周りの座席のヒトが一斉に彼女を見たので、彼女は「恥ずか
しい」と言ってたが、僕ならどうだろう。多分、周りが自分をどんな
表情で見ているのかを観察するだろう。ビックリしてるヒト、ヨッパ
ライかと笑うヒト、傍観するヒト、どんな顔をしているのか気になっ
てしまう。
僕はヒトと目を合わせるのがあまり得意ではなく、差し呑みの時もな
るべくカウンターや、横向き座りが好きなタイプだ。
正面で「見られてる」という感覚もいやだし、何か話さなくてはとい
う変なプレッシャーを感じる時もある。ところが横に座ると初対面の
ヒトでも安心して話せる。
つくづく変な生き物だ。素の状態で正面から見られるのは嫌いだ。
ところがズッコケた時に見られるのは、別にかまわない。見られる恥
ずかしさより見たいという好奇心の方が勝ってしまう。
僕は昔ゲイを装って客としてホストクラブに行ったことがある。
その時も同じだ。ホストがどういう接し方をしてくるのかにも興味が
あったが、お客の女性が自分をどんな顔で見るのかに興味があった。
そういうわけで僕は女性と付き合うと場所を考えずに、どこでもキス
をしてしまうタイプです。大体、そういう所がうざがられますね 笑
面白いもので、外国ではそーゆーのがOKでも日本に帰ると嫌な顔
をされる。
女性は海外にいると日本より周りの目を気にすることがなるので、楽
になると思う。
結局、周りの目を気にしつつ「意義」「価値」といった曖昧なものを
考えるのが大人で、周りの目を気にせず「面白いこと」を自ら考えた
り探したりするのが子供。
僕のイメージの「大人」と「子供」の違いはそこにあると思います。
小さな頃は「自分がどこから生まれたか?」とは不思議に思ったが、
「どうして生まれたか?」とは考えなかったような気がする。
大人は世の中に慣れてしまう生き物だ。そして、経験してもいないこ
とを人の話や本を読んだだけで、「まぁどうせこんなもんだろぅ」と
知った気分になってしまう。その考えた方が飽きや慣れをさらに加速
させる。なのでちょっとでもやってみることと、「こんなもんだろ」
と推測することには大きな開きがあると思う。
で、僕の理想は「中人」です。銭湯にちょっとだけ安く入れて陰毛が
生えたばかりのあの頃。アダルトビデオコーナーのカーテンを潜りぬ
けるのはドキドキでした。
今でも僕は動画サイトで素晴らしきタイトルのAVを見つけ「こ
れだ!」と鼻の穴を膨らましてドキドキしたりするのだが、結局はず
れを引いてがっかりしてしまう。あの頃は、NHKの朝の新体操でも
イケたのに…。なかなか難しいもんだ。
※ちなみに松村邦弘氏は、かつて「豊臣秀吉」をオカズにしたことも
あるそうです。