人はいつから大人になるのか①
どもです。
もうすぐ三十路になります。子供の頃は三十というと
すごく大人だと思ってましたが、実感わきません。
最近、納豆にハマっています。唇についたネバネバを
味噌汁でこそぎ落とす時の感覚がたまりません。
味噌路のせいでしょうか?(零点)
そういえば納豆は、昔大嫌いでした。酒呑みになると、
甘いもんがダメになるとか食の好みが変わってきますが、
納豆に関しては東京へ来てから突然好きになりました。
理由は簡単です。
うちの母ちゃんが納豆に砂糖を入れてたからです。
「粘り気が出る」とかなんとかで、北の人にはそういう
人も結構多いみたいです。なので一人暮らしをして初めて
辛子醤油の納豆を食べた時は涙が出るほどうまかったです。
ちなみに七味唐辛子を一度振りかけまくって混ぜたところ、
セメダインのようになった記憶があります。あまりおすすめ
できません。
んで、人はいつから大人になるんでしょう?
それは当たり前ですが、20歳からです。19歳以下は子供、
ただそれだけです。
中3の頃、友達にU君というのがいました。
彼のイチモツはズルムケモスラで、平常時ですでに僕の勃
起時を上回ってるほどのスケールでした。
修学旅行の風呂で彼のご神像を目にした僕と友人は「パンパン!」
と両手を合わせて拝み「大人だねえ」とつくづく思ったもんです。
身体の変化が「大人になる」というのはわかりやすいのですが、
世間でいう「大人」とはイメージの世界に過ぎないのでは
ないかと僕は思います。
大人のイメージはこんな感じでしょうか。
・感情を抑えることができる(キレない)
・気遣いができる
・教養や経験豊富。中身がある
ところが、僕の周りは草食だらけです。子供の頃から、何を言われて
もされてもキレないし、温厚な人間は結構います。
気遣いができる、これに関しても昔から優しい女子はたくさん
いました。
中身がある、これは、学生なら別ですが、働き出すと人それぞれです。
10代でも自分の考えを持ったしっかりした人もいれば、40代でも、テ
レビで流れることをそのまま口パク人形のように語る人もいる。
小1と小6ではかなり違いますが、働き始めると30も35もそう
変わりません。あくまで人それぞれです。
また大人の中にはこんなタイプもいます。
・世間体、周りの目を気にする
・自己の正当化に励む
・プライドが高い
・マナーにうるさい
・世の中の全てに飽きている
中学の頃いい先生がいた。クラスの生徒とキャンプやボーリングを
やったりして、みんなその先生の事を慕ってました。授業もわかり
やすくて面白い。
ところがそんな行動が他の教員の目くじらを立ててしまったようで、
その先生は職員室に居場所がなく、いつも準備室でタバコをふかして
いた。
ある時はこんなこともあった。
中1の頃、小学校の担任を交えて同窓会をやろうとした。
ところがその計画が教員にバレ、「君たちはもう中学生だ」などとよ
くわからぬ理由で潰されてしまった。面倒なことを起こされたくなか
ったんだろう。
いい先生も中にはいたが、大半がおかしな先生ばかりだった。
「大人になるとこんなおかしくなってしまうのか?」
当時僕はそう思った。周りにはいじめっ子もいじめられっ子もいた
が、そんなおかしな人間になるようなタイプはいないと思えた。
んで、あれから15年以上経った。教員の友達に聞いてみると僕と同
年代でも、そうしたおかしな先生がいるらしい。
なんでだろう?いつから変わったのだろう?
ある人は「食べていく」ために、閉鎖的で保守的な環境に合わせるの
に必死なんだろうか。それならばわかる。
だが、そうじゃない人はプライドが高く、自分の地位や肩書きを正当
化しようとしている「守り」に入った人間だと訊く。飲み会で教育に
対して熱く語り、「おれはすごいんだ」と見せる人に限って生徒には
嫌われているらしい。
いつの時代でもこういうタイプが生まれるのだなと思った。
「大人」同様、「幸せ」もイメージに過ぎないと思う。
昨今、巷には「ハッピー」とか「幸せ」という言葉が溢れている。
僕はこの「幸せにならなければならない」という風潮が嫌いだ。
なぜなら、それは「勝ち組」「負け組」同様、「他人との比較」
を煽っているに過ぎないと思うからだ。
幸せとは、「感じる」ものであり、「なる」「考える」「探す」
「言い聞かせる」ものではないと思う。
そしてあくまで自分の価値観が決めるもの。
たとえば、ビールを飲むだけで幸せと感じる人がいる。
こういう「小さな幸せを感じられる」人が一番お得な人間だ。
幸せは計ることはできないが、あえてたとえるなら、
こういう人は「小さな定規」を持った人だ。
5cmの長さを持った人がいるとする。ご飯を食べるのが2cm、
ビールを飲むことが5cmで、合コンが10cm、彼女とデートは
15cm。世の中の大体のことに「幸せ」を感じられる。
しかし、リッチな生活をおくりながら「幸せになりたい」と言って
いる人もいる。特に、小さな頃から欲しいものは何でも買ってもら
えたおぼっちゃまや、お嬢様に多いと思う。
こういう人が持っているのをコンパスだとする。
コンパスでは、5cmの幸せを計ることができない。
こういう人は、「幸せになりたい」とか「私の幸せは何だろう?」
と考える必要は全くないと思う。「わからないまま」でいいのだ。
自分が興味を持ったことを黙々と行動している内に、幸せを感じる
かもしれないし、わからないかもしれない。けれど、ただ思うだけ
ではなく、行動が経験という価値あるものを生み出す。
このおぼっちゃま、お嬢様、結構色々悩んでいる人が多い。
結局その悩みを解決するには、自分がタフになる必要がある。
「簡単に強くなれない」なんて人もいるけど、強制的に自分を
劣悪な環境に追い込むのだ。
たとえば、一人旅をする。
旅には金が必要なので我慢して少し働く。
「北インドを制するものは世界を制す」と僕は勝手に思っているが、
小汚い宿、紙のないトイレ、ハエがブンブン飛び回るカレースタンド、
ぼったくり店員。そんなものを楽しめればかなりの上級者だ。
世界どこでも住めるだろう。ヤだなぁと思った人でも1週間ほど
住んでみればいろんな意味で強くなれるだろう。
自分を鍛え、そして刺激が好きなら、他人に頼らなくても楽しめるも
のを見つける。
もしどうしても強くなれないなら、逃げちゃおう。
たとえばいじめられっ子は、安易に実家にこもるのではなく、南極に
逃げればいい。南極に行く金は、方法は?
そんなことを考えている内に逃げが攻めに変わる。
幸せとは、そもそも何なのだろう?
世間では「結婚して子供ができ、食べていける」ことが幸せ
とされている。
ところが僕は結婚したことがないので、よくわからないが、
結婚した人に訊くとこんな答えが返ってくる。
①子供はいい。結婚は素晴らしい
②独身と、どっちがいいのかわかんね
③失敗
たとえば、「幸せになりたい」と思っている人が、友達の結婚生活
を見て「幸せそうだな」と思う。そして「結婚すれば幸せにな
れる」と思い、結婚をする。
果たしてイメージ通り幸せになれるんだろうか?
元々、小さな幸せで満たされる人なら、余程の不幸がない限り幸せ
だろう。
ところが「幸せになりたい」と思っている人のほとんどが、「小さ
な幸せで満たされない」人だ。親の借金を抱えている人とか、病気で
身体の自由が利かない人が「普通でいい。幸せになりたい」というな
らまだわかる。ところがそうでない人の場合、「結婚」に過度の期待
を抱くのは危険だ。
自分のイメージ通りにことが運ばないと歯車がからむだろう。
そして、「幸せになりたい」と、また幸せ探しの旅に出かけてしまう。
ひとつ例がある。アジアの小国、ブータンに「国民総幸福量」
なんてものがあって、国民の9割が幸せと答えたそうだ。
物質的には恵まれていなくても、外界から遮断し「家族と生きてる
だけで幸せ」という価値観が広まったからのようだ。
ところが、ケーブルテレビが普及すると海外の生活が見れるよう
になった。最近は自分たちの暮らしぶりに満足できずグレたり、
嫉妬したりする若者も増えつつあるようだ。
これが示すのは「他人と比較する」ことは幸せに繋がらないとい
うことだ。
現状の仕事や生活に不満はあるけど、「あの人の生活よりはまだ
いい」。そう感じるのは、貧乏な国の人を見て「この人たちより
は幸せ」と考えるのと本質的には同じだ。
他人と比較する人ほど自分自身の精神バランスが取れていないよう
に思う。(僕自身そうでした)
僕が思うのは、貧しい国の人より、日本人が恵まれているという
だけだ。自分が幸せかどうかはあくまで価値観による。
日本のような先進国は、物や情報が溢れてる国だ。
テレビは豪邸訪問番組を流し、「嫉妬」や「羨望」を煽る一方、
アジアの貧しい暮らしを写し出し、「私たちは幸せだ」なんて
言ったりする。
人は、上を見たり下を見たりしてバランスを取り、マスコミやそれ
で儲ける企業はそれに煽りをかけていく。そんな比較対象があふれ
た恵まれた国で「結婚して子供ができ、食べていける」ことが幸せ
という価値観を浸透させるのは少々無理があるような気がする。
僕は自己啓発書や、金儲け本みたいなのは一種のドラッグのような
もので、一時的に気持ちいい気分にさせてくれるものだと思う。
なので「幸せ」は、感じれば儲けものという程度のもの。
カップルが愛を深める時に使えばいい言葉で普段意識する必要はな
いものだと思う。
脱線しました。
以下、大人が「考える」ことやものについて僕なりの考えを書いてみ
ました。あくまで僕の考えなんでスルーしてください。
○目的
自分が必要なら考えるものだし、なくてもいいもの。
目的を持ち建設的に生きるのも有り、遊びまくって享楽的に生きるの
も有り。自分が良ければどっちの生き方でもいい。
旅先で「会社の人に1年旅に出るって言ったら、何の目的とか、なん
でそんなことするの?って訊かれた」という人に結構出会いました。
問いかける人の根底には「働かずに旅に出るなんてもっての他」とい
う自分の価値観から排斥したいという意識が感じられる。
バックパッカーは面白い生き物だ。「ダメ人間」と言われたり、
「うらやましい」と言われたり。
ただ、旅行しているだけなんだけどね。
目的は他人に尋ねるものではないと思う。
○自己正当化
普段、考える必要のないこと。
しかし、人は常に自分を正当化したがる生き物だ。
たとえば経営者が、会社存続のためにリストラに踏み切らなければな
らない時に、自己嫌悪に悩みながらも「会社を救うためには仕方が
ない」と正当化する。こういう正当化ならわかる。
階段で車椅子の人を担ぎ上げて運ぶようなボランティア精神に溢れな
がら、「自分の目に見えないものは関係ない」と、意図的に為替相場
を操作し、何十万人という発展途上国の従業員を失業させ、たんまり
儲けるアングロサクソンの投資家に比べれば、よっぽど人間的だ。
不必要な正当化とは、たとえば自分の仕事に存在意義のようなものを
見出し自分に言い聞かせたり、ひけらかすことだと思う。
「おれは人に感謝されるのが生きがいでこの仕事をやっているんだ!」
と、ある医師が飲みの席で語ったところ、知人のナースが「ふーん」
と流したそうです。この女性はものすごく素敵だと思います。
「私は世界の人を幸せにするために飛び回っているの!」と熱く語る
スッチー。(そういうことは結婚式のスライドショーで幹事に言って
もらってください、と言いたくなる)
「肩書き」や「地位」を勲章のように語り自己正当化する人もいる。
「高校時代国体で何位に入った」と語る体育教師。
(困ったことに教員のような保守的な世界では、その肩書きに羨望
を浴びせる人間も多いそうだ)
昔、探偵ナイトスクープで「おれは○○大の初代ボクシング部OB
だったが名簿にない!」という調査を依頼したお爺さんがいた。
昔だったので、20人中、名簿に載ってるのはたった8人だ。
結局その方は名簿に載ったんですが、そんな重要なものなんですか
ねえ。
お年寄りには「おれは○○大の冒険部を作った」なんていう人もい
ますが、どうして過去の栄光(?)にすがるんでしょうか。
風俗やAVのスカウトの常套文句に「若い時しかできない」という
言葉がありますが、熟女AV女優や、熟女風俗嬢ももちろんいる。
「若い時しかできない」ことなんて、ビールの一気ぐらいじゃない
だろうか。あとは大体幾つになってもできることだと思う。
生涯「攻め」で生きればいいのだ。
過度の自己正当化は、スパイラルにハマるもののように思う。
○プライド
高い人ほど損、苦労する。
ここでいうプライドとは職人の作品やモノへのこだわりという意味
のプライドではありません。
「自分はこんなくだらねえ仕事はできないんだ」とか
「自分はもっとできる人間なんだ」という意識。
プライドを満たすためには、永遠に努力し、自己正当化し続けねば
ならないだろう。
それは向上心とはまた違うものだ。
そしてプライドの高い人ほど理想と現実のギャップに悩む。
僕もそうだったんですが、権力に従順な元ガリベンほどプライドは
高い。ところが世の中は勉強のようにやればやるほどうまくいくと
いうもんでもない。
で、元ガリ勉は社会的地位に高い立場につくと、自己正当化、
保守の傾向が一層強くなる。
そのまま自分のプライドを守りながら一生をまっとうできれば
いいけど、どっかで歯車が狂うと最悪自殺に走っちゃう人もいる。
『白い巨塔』によく描かれている。
○差別
いろんな意味でハケ口。する人もされたと主張する人も。
本当に差別をされて被害を被る人も多々いるだろう。
だが「差別された」と主張することに生きがいを感じる人もいる。
昔、何かのポスターで真っ白な女性の顔に赤い唇を描いたものがあ
った。その広告自体、女性が作ったものだが、どっかのおばちゃんが
「女性器に見える」と非難した。
そんな差別を主張する人はネパールに来るといい。
数千円でインドに売り飛ばされ、一日何十人もの客をつけられる
女の子がいまだにいる。それを防ぐために現地NGOの職員が国境で
見張りをしている。
「障害者」を「障がい者やチャレンジャーと呼べ」と主張する人も
いる。当たり前だが、障害者の中にはいい人も悪い人もいる。
チャレンジには、英語で「障害がある」という意味もあるが英語に
したところで何が変わるのだろう。
僕が思う真の意味での「チャレンジャー」とはケツの穴にコーラ瓶
をぶっこむような人だ。
そういえば昔「小人プロレス」なんてのもあったが「差別」と言われ、
なくなった。おかげで小人プロレスラーは職を失った。
国籍や民族でひとくくりにして毛嫌いをする人もいる。
民族性みたいなもんはあるだろう。だが、あくまで個人による。
差別をすることはもちろん、過度に「差別された」と主張することは
社会全体に、変な空気を生み出す。
○期待
裏切られるもの。抱かない方がいい。
仮に期待通りに物事が運んだとしても、
儲けた感は半減するだろう。
○希望
あった方がいいもの。ただ、普段意識する必要はない。
心の奥底にしまっておいて、ダメになった時に引っ張り出す
くらいがちょうどいい。
○意味
人生にないと思う。他の概念同様、人間が勝手に作り出したもの。
そして「意味」を考えることは大体、自己正当化につながる。
「意味出し」スパイラルに入ると切がない。
○欲
しぼった方がいいもの。
欲があるのは悪いことではない。
ただ色んな欲があればあるほど、理想と現実のギャップに苦しむ。
自分の欲が、何なのか見えると人生が楽になる。
○価値
後からついてくるもの。
探したり、言い聞かせたりするものではないと思う。
「この熊のぬいぐるみは子供の頃から寝る時使っていた、だから
好き!」先に「そのぬいぐるみに思い入れがある」という前提が
あるのでその人にとって価値がある。
新品の熊のぬいぐるみを買って「熊よ…価値を持て」と言い聞かせ
るものではない。
「自分自身の存在価値」「レーゾンデートル」そんなことは考え出す
と切りがない。
組織は自分がいなくてもきちんと回る。
結局自己正当化のエンドレススパイラル。
○夢
あったら楽しいもの。
ダイエットや、英会話の習得ができる人は、世の中の大体の夢は実現
可能だと思う。
しかし、努力では報われない夢も多い。
それは「役者」「ミュージシャン」「映画監督」「写真家」
「作家」「漫画家」といった表現分野で食べていくことだ。
スポーツ選手なら年齢などであきらめもつくだろうが、「あきらめ」
は結局自分との折り合い次第だと思う。
「絶対夢はあきらめない」という人。
「○○歳までにダメならあきらめる」という人。
後者のタイプで、ばっさりあきらめた人では違う分野で成功する人
も多い。ボクサーをやっていたがあきらめて、今はオーナーシェフ
なんて人もいる。体育会系のストイックさが料理人の世界で通用
したんだろう。
前者の人はどうするか?自分との折り合いがつかないのであれば
あきらめないで続ければいい。そういうタイプの人は「平凡な日常」
に興味がないのでそれでいいと思う。
「自分は特別だ」とか「有名になりたい」と考える人の中には
過去のコンプレックスが引き金になっている場合も多々あると思う。
コンプレックスから来る向上心や努力は、他の世界では報われるこ
とも多いが、この表現分野では報われるとは限らない。
中には「非凡でならなければならない」という脅迫観念にしばられ
る人もいる。
けれど、世の中はただ「金」や「名声」で評価する世界だ。
辛酸なめこさんが「紙とペンとホッチキスがあれば表現できる」と
言ってたけど、その通りだと思う。「表現欲」を満たすなら、紙と
ホッチキスとペンで、大体クリアできるだろう。
たとえばスポーツ選手なら目に見える成績が出るだろうが、どんな
に演技がうまくても役者で食べていけるとは限らない。
結局は、「報われないかもしれないけど好きでやってる。一生役者
をやりたいんだ」という人が本物の役者だと思う。
○誹謗・中傷
エネルギーの無駄使い。ブログ炎上なんてまさにその典型。
いじめは、小さな頃からあるものだけど、顔の見えない世界にいる
とかつてのいじめらっれっ子や、いじめを傍観していた人々もいじめ
っ子になってしまう。
僕はコールセンターで働いたがクレーマーは寂しい生き物だと
つくづく感じた。
日本ほどサービスのいい国はないと思う。なのでクレーマーに取っ
ては天国ですね。普段、会社でペコペコしている人が、消費者に
なった瞬間、立場が逆転しちゃうんだろう。
ネパールでもどこの国でも大体そうだけど、日系の店以外、店員は
無愛想だったりいい加減だったする。ところが人にもよるんだろう
が、サービスの悪さは、案外すぐに慣れてしまうものだ。
クレーマーはオランダに行けとつくづく思います。
サッカーEURO2008を見たいバスの運ちゃんがスト決行、2週
間運行停止なんてことも普通にある国。
ある時、オランダのタバコ屋でこんなことがあった。
僕が「マルメンください」といったタイミングで店員が「ハロウ」
といったんですね。んで、「まずは挨拶が基本だろ!」とものすご
い顔で怒られた。謝りましたね。「あれ、おれ一応お客なんだけど
?」と疑念に駆られながら。全く挨拶をしない店員もいるので
ややこしい。
そんな国なのでクレーマーの付け入る隙はないと思います。
ストレスの解消法は色々あるでしょうが、他人を攻撃することでは
ないと思う。
以下特異なストレス解消法
・皿割居酒屋(今でもあるんだろうか?)
皿を手渡されて「課長のバカ野郎!」なんて、叫びながら壁にぶつ
けて割る。「あー、すっきりした」なんて平社員が言ってましたね。
・強制皿洗い
某大起業社長。休日の趣味は家族連れで賑わうレストランの皿洗い。
立場逆転。ヒトにこき使われるのがたまらないようですね。
ナイスなMさん。
・聖職者汁男優
そのまんまです。汁男優にはお堅い仕事についた人が結構いると聞
いたことあります。いいバランスの取り方ですね。
○金
ご存知の通り、世の中のほとんどのモノが買える魔法の紙切れ。
持っている人が強い。欲しい人は手にする努力をすればいいし、
物欲のない人は食ってくためだけの、最低限の自分の時間を売れば
いいだけだからとってもお得。
世界で一番権力のある人間はアメリカ政府に圧力をかける巨大資本家。
プラザ合意を引き金に起こったバブル経済と崩壊。
800兆以上の日本の借金の屋台骨を支える郵便貯金を、外資に流す
郵政民営化。
結局、どの政党が政権を取っても、このアメリカ政府のバキューム
カーを排除しないことには、一部の金持ち以外日本の労働者は永遠に
搾取され続けるだろう。
で、日本にはこんな言葉がある。
「金は後からついてくる」
AD時代、テレビ局の幹部に「金は後からついてくるもの」と語ら
れたことがあった。
その時は「ほぉ」と思いましたが、今になって考えればその人が
テレビ局に入った時点で高給が保障されていたわけなので、説得力
ないですね。たとえば「ずーっと、剣玉やってたら日本一になって
金持ちだぁ」なんて人が言うならわかるけど。
根底には「金は悪」という概念が日本にまかり通っている
ので生まれた言葉なんだろう。
一代で儲けるためには、法律の隙間を潜ったり色々あの手この手で
やらねばならない。そうしていく上で対人関係が打算的になる人
(例:損得勘定で付き合う人を選ぶ人。意図的に人脈を築こうとす
る人への接し方。「おれの時間を返せ」などという、時間にケチな人)
や、性悪になる人が多いから、「金は悪」という概念がまかりとおっ
ているんだろう。
けど、金持ちでいい人ももちろんいる。
後編へ続く…