リフティングと時間の流れ

2009年10月11日

仕事帰りの帰り道、自宅近くを歩いているとサッカーボールを手に取り、
リフティングに励む少年に遭遇した。

ボールを背中の上に乗っけては、その昔カズがやってたみたいに、背中をクルっと回転させ、
足でキャッチしようと試みるのだが、その度にポテリとアスファルトに落下するサッカーボール。

トントントン・・・トトトトト・・・ト。という乾いた音がむなしく辺りにこだまする。
少年はその度に、頬をふくらませ、「チッ」と舌打ちし、ムッとした表情でボールを手に取り、
そしてまた練習を再開する。近くの電線に止まっているカラスがウザいくらいにギャーギャーわめき続けている。

サッカーは面白くとも、リフティングの練習自体はとても味気ない。
その昔サッカー少年団に所属していたボクもその気持ちはよくわかる。

思えば10数年前、ボクが彼ぐらいだった頃、裏の川原で犬の散歩がてら、毎日一人練習に励んだものだった。そん時はサッカー選手になりたいとか、女にモテタイとか、ささやかな夢も抱いていてムキになっていたのだが、正直リフティングの練習なんて味気なくつまらなかった。だから練習は月日とともにサボりサボりになり、そしてある日突然辞めてしまった。

いつの頃だったろうか、それからだいぶ経ち、ある日ふと、うす汚れ、ドロがパリパリになって張り付いたボールを何気なく取り出し、リフティングをしてみた。

すると、どうだろう。意外なほどウマくでき、それまでのボクの最高記録の100回をあっさりと超えてしまった。ワインは寝かせておけば熟成するものだが、アレも不思議なもので、ソレと似たようなものだったのだろうか。もっとも、今となっては、5回たりともできないのだが。

同じような経験は他にもあるように思う。
暗い思春期に日記に混じって書いた、痛々しいほど寒気のする詩を読み返して、また、
ペンを握って書いてみると意外なほどウマく書けたり。

本棚の隅のアルバムを何気なく手に取り写真を眺めているうちに、ふとカメラを手にし、
撮影した一枚がものすごい、いい仕上がりだったり。

その昔買った健康器具がホコリをかぶったまま出てきて、久々に試してみると、
後々筋肉痛になったりするほど酷使してしまったり。

ボクは楽器をやったことがないが、元ギタリストも、古びれたギターを数年ぶりに手に取ると
・・・同じ感じなのだろうか。

トントントン・・・チッ!・・・ギャー!カー!

乾いたアスファルトと、パリパリの冬の空気にその音はこだまする。

少年は、ヤケクソになってまたボールを手に取り背中の上に乗っけた。
肌は青白く、体系もデップリとしていて、典型的なスポーツ少年にはほど遠い。
楽しさよりも、必死な姿がヒシヒシと伝わってくる。
そんな様子を、小さな頭のカラスがギャーギャーとわめき散らしている。

1月の寒空の中、その少年の体は確実に温度を保っていた。
あの、ガムシャラささえあれば、何だってできるように思えてくる。