エスカレーターに思うこと
最近、エスカレーターに乗ることが多い。
こう発言すると、聞く人によっては「え、あ、そうですか」などと困惑し、「この人、すこぉし足りない人なのかな」と思われてしまう。
そういう人に限って、「最近、海外出張で飛行機ばっかですよ」なんて言うと、「え、あ、すごいですね!うらやましいですね」などとおだて始め、わかりやすいほどの羨望の目つきをしたりする。
だが、思う。本当に、人は人生で何度エスカレーターに乗るのだろう。
電車を降りると、ボクは真っ先にエスカレーターの左側(登らなくて済む方)に駆け寄り、なんとしてでも一番先頭に立ちたいという願望がある。先頭に立つと、別に小学生のように腰の両脇に手を当てたりするわけでもないけど、とりあえず「よく頑張った」と胸をなでおろし、視界の先の縦長ジャバラのような、ウネウネとした動きをカンサツする。
こうしていると、必ず右目の方に、追い抜き人が次々と現れ、毅然とした振る舞いでツカツカと歩き進んでいくわけですな。 だけど、よくわからないのは、「追い越し人」と呼ばれる人々で、そのまま上へと駆け上がり、視界の先から消えるのかなぁと思いきや、いきなり自分の数段上で、何事もなかったかのように佇んでしまう人々だ。
追い越し人には、3パターンある。
①本当は停止していたかったが、右のほうがすいており、ある 程度上った辺りで意図的に休息をとる人
②最初は上りきろうと思っていたが、予想以上に疲労困憊して、休息をとる人
③よくわからない人
①、②は多数存在する。左の列に並んだ人々のスキマを狙う、スキマ人がこれに相当する。
ところがこの前ボクは久しぶりに③の人間に遭遇した。
その、ふくよかなおばさんは、デップリとしたオシリをずんぐりむっくりと揺らし揺らし、右側を素早く登っていたかと思うと、突如進路変更し、左側先頭のボクの1段上に、ドップリと不時着した。スペースが欲しいだけなら、もう、二、三段上へ行けばよいのに。
高速道路を爆走していた4tトラックが、ガソリン補給のために一般道へゆるりと進路変更するような感じである。おばさんの持っていたビニール袋から、青ネギが顔を出し、それがボクの膝小僧に触れて、ナンだかとってもブルーになってしまった。
それにしても、エスカレーターとは常々おもしろい生き物だと思う。まず、あれは明らかにクビのもげた大蛇か竜である。 初めはキューブブロックのような形をあらわにしていたのが、終わりになるに連れて縮小し、飲み込まれていく様は、実にシュールだ。子供の頃は、本気であの、飲み込まれていく隙間の先に何があるのか悩んだりしたものだ。
エスカレーターの入り口と出口には、まん丸の白光色のランプが必ずある。たまにゲーセンへ行き、ガンアクションゲームなどをするボクだが、まん丸ランプのそれがボスキャラの弱点のように思えて仕方が無い。4つのランプを撃ちまくれば、エスカレーターは崩壊し、乗っていた人々は空をさまよい、
10000点のボーナスポイントを獲得できるのだ。
話は変わる。エスカレーターは、同類のエレベーターや階段と比較するとどうなのだろう。
階段は、まず、謙虚だ。一歩ずつ、力強く踏み越えていく様は、教科書にでもでてきそうなほどの美談である。不器用な男、職人の部類がこれに当たる。
エレベーターはどうか。乗ってしまえば、ボタンを押すだけで、あっという間に目的地に到着。おまけに、乗る場所の位置によって相手を立てるなどのマナーもある。上流階級だ。金持ちのドラ息子がこれに当たる。
エスカレーターはどうか。とりあえず何もしなくても目的地にはつけるが、スピードは実に遅い。
しかし近代都市、マレーシアのクアラルンプールでは驚くほどの速さだった。
日本もバブリーな頃は、もっとスピードが速かったのか?大阪は東京の2倍のスピードなのか?、などと色々考えてしまうのだが、昨今のゆとり教育、癒しブームの影響で、日本では随分とそのスピードは遅い。また、世間的なイメージから言うと、「エスカレーター入学」という言葉もあるし、響きも「ツカレーター」と似ていることから今ひとつ芳しく無い。実に中途半端だ。
だが、エスカレーターに乗って反対側の、下り、ないし、上りの人々の移ろいを眺めていると、サファリパークで4WDに乗るがごとく、実に興味深い。
それぞれ、上段と下段に乗り、見つめあい、ハグをして密着するカップル。下りエスカレーターに乗る彼らの行く末が気になる。
混雑した下りエスカレーターに対し、一人、悠悠と上りの方に乗ってる冴えないオヤジ。
普通のおっさんなのに、何となくスターに思える。
エスカレーターの手すりを、じっと静止したまま拭く清掃員をカンサツするのも面白い。あの人たちは、あれで、本当に力いっぱい拭いているのか。タバコ屋なみに、ナンとなく楽そうに思えたときもあった。
エレベーターの場合、見知らぬ人々が狭い空間の中に閉じ込められるというストレスがある。気まずくなった人々は、急に目のやり場に困り、何となしに、斜め上にあるフロアランプをカンサツしたりする。さして、面白くも無いのに。
ケラケラと甲高い声で話していた仲良し組みだって、一歩エレベーターの扉をくぐると、まるで救急車のドップラー効果のように、声をひそめ、クスクスと笑ったリする。必然的に話の内容が他の人々に漏れ、さしておもしろくないものだと、乗客はツッコミたい願望を抑えきれずに、拳をピクピクさせたりもする。
そんなストレスを感じているから、エレベーター内で一人になると、思わず歌声を上げたり、監視カメラにピースサインを出してしまう自分がいる。あえて、エレベーターの楽しみ方を一つあげれば、それは「衝撃」だ。見知らぬ雑居ビルに乗り、適当にボタンを押して、止まった階で扉が開くと忽然と現れる未知なる空間。たまにやってみると、たまに面白い。
階段の楽しみ方はどうか。一言で言うと、「頑張った感」ないし、「自分へのご褒美」である。真夏のクソ暑い中、喉がカラカラで、仕事上がりの時なんてにゃ、あえて勇んで階段を使おう。駆け登った後の生ビールは至極の味。
そしてまた、半年に一度会えるか会えないかの、遠恋カップル(男)の方は、ぜひ、どこまでも続く長い階段を駆け上ろう。改札口では久しぶりの彼女の笑顔が待っている。クリスマスの日なんかにゃ、階段の一段一段をカレンダーをめくるがごとく、山下達郎のBGMを一人耳の奥でこだまさせ、笑顔で彼女と向き会おう。ちなみに、ボクが知ってる究極に長い階段は 群馬県の土合駅にある。土合の遠恋カップルなんて、滅多に存在しないと思うが。
さて、中途半端なエスカレーターはどうか。エスカレーターの楽しみ方は、ズバリ「間合い」にある。エレベーターはすぐに到着するので味気ない。階段は頑張った感的な演出はあるものの、所詮山下達郎止まりだ。目の前の階段を一段一段見据えて行くに過ぎない。
対し、エスカレーターの場合、周囲を見渡す余裕がある。中田英寿並みの視野の広さ。先頭に立ち、はるか頭上の口の明かりを見つめながら、ただただ、待ちわびている姿は粋である。
かつてボクは、バックパック片手に、ロンドンのヒースロー空港を訪れた。そして、tubeを乗り継ぎして、ようやく、地上へ出るという段階には、最後の最後で長いエスカレーターが待ち受けていた。細く長いそれに足を据えると、視界の先にはただ一点の光があるだけなのに、遠き日本の友人や、まずかった機内食、空港で道を教えてくれた親切な人々など、実に様々なイメージが頭に浮かんでは消えていった。これが、エレベーターだと「あっという間」、階段だと「汗ダク」な展開になってしまう。、エスカレーターの中途半端な滞在時間だからこそ味わい深めることができるのだ。
ちなみに、エスカレーターの極みは香港にあり、オフィス街・セントラルと高級住宅地・ミッドレベルを結ぶ全長800mものエスカレーターが存在する。フェイ・ウォンの映画にも出てきた。
どこまも広がる青空の中、彼女の手を握りつつ、移り行く町並みを目にすればそれだけで、立派なデートスポットだ。いや、彼氏彼女のいない者たちだって、これだけ長いエスカレーターに毎日乗ってれば、いつかは遠い未来に出会う相方とすれ違っているに違いない。「君には、初めて会った気がしないんだよねえ」って、そりゃそうだ。
UFOにアグダプトされるのなら、エスカレーターでさらわれたい。あの世へ通じる最後の道は、細く長いエスカレーターであって欲しい。 と、ボクは思うのだ。